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葦牙とは……葦の若芽。水辺の葦が芽吹き、水面にその尖った新芽が点々と顔を出す。水面から出たその尖った新芽を牙や角、錐に見立てたもの。葦の牙、葦の角、葦の錐ともいう。水温む春を表す季語。この映画は、親に虐待された子ども達の心の軌跡と、それを見守り、育み、心の回復に真剣に立ち会おうとする人々の記録です。

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今この瞬間にも、日本のどこかで、親に虐待され、幼い命を落とす子ども達がいます。
警察や児童相談所の介入により、閉ざされた密室の暴力から救われ保護される子どもたちもいます。
しつけという名のもとに、あまねく暴力に身をさらし、あるいは放置され、現実逃避に一抹の救いを求め、次第に泣くことも笑うことも忘れ、表情を失った子どもたちが行きつく先に誰が、それでもまだ未来は明るいと言えるでしょうか。
悪夢のような信じられない光景が、茶飯事という些末な言葉を嘲るように私たちの社会の中で日常的に起きています。
1990年頃から顕著になってきた児童虐待は、数値の上では増加の一途を辿り、危機的状況として連日マスコミを賑わせたことも私たちの記憶にまだ生々しくあります。
かろうじて救われ、施設に保護されている子どもの数は3万5千人とも言われています。
若年親の増加、核家族化孤立化世帯、貧困、格差、これら社会の歪みは総じて弱者へ。特にも幼い子どもたちへのひずみとなって暴力の連鎖をもたらします。
また近年は、ドメスティック・バイオレンス(配偶者間暴力)の子どもに与える影響も問題視され、家庭という密室の中で繰り返される暴力の肉体的、精神的に刻まれる傷の深さははかり知れないものがあると言えましょう。
未来の担い手である子ども達の、受難の先に見えるものは、ほころびはじめた私たちの社会の在り様です。
岩手県の県都盛岡市の北に位置する閑静な住宅地に、児童養護施設「みちのくみどり学園」はあります。高度経済成長期という繁栄の時代の波に逆行するように、昭和32年に虚弱児施設として創設され、「先駆的・開拓的・実験的」を運営の基本理念として、長年に渡り、地域にその任を果たしてきました。
平成10年、児童福祉法等の一部改正により、児童養護施設に移行した現在では在園児童の約7割が被虐待児と言われ、県内各地域の親元を離れた子ども達がここで集団生活を営んでいます。
選んでここを訪れる子どもはいません。ましてや選んで託す親もいません。必然的介入を余儀なくされた家族が分離し、ここから再生のための一歩に踏み出すのです。
地域養護の中で子どもたちの成長を支える施設職員。岩手の中間山地・西和賀町や一関室根町の自然や文化を通しての人々と子ども達との交流は、映画の作り手に明るい兆しを感じさせました。
根を持たない人間は、時に頼りなく、儚い存在かもしれなません。けれど地域には、土に根を下ろし、地下を這う多年草のような力強い生き方をする人々がいます。幾たびも己の季節の花を咲かせる慎ましい生き方が、まだこの岩手にはあります。
一度は深く傷を負った心が、再生のプロセスを辿る道のりは長く困難かもしれません。しかし私たちが、この映画から描こうとするのは子どもの尊厳です。どんな時代でも子どもは世界の希望なのです。冬の厳しさを越え、鮮やかな生命を芽吹かせる葦牙(あしかび)のように…。

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