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『受難と葦牙(あしかび)』 監督 小池征人

児童虐待は人と人が出会う時に起こる最初の事件です。人としての愛情の生まれる心の現場の事故であり、事件です。子どもたちは人間的感情や感性が発生する基盤である母乳(栄養)と母語(言葉)を獲得する過程が奪われるわけですから、人としての心が未成立のまま放り出されます。放棄された子どもたちは時に殺され、幸いにも保護され救われた子どもたちは養護施設に預けられることになります。ここから「社会的養護」という仕事が始まります。
記録映画『葦牙-あしかび-こどもが拓く未来』は「みちのくみどり学園」という最良の場所を舞台に社会的養護のありかたを記録したものです。
児童虐待を撮る時に考えたのは、この問題を加害者・被害者という視点を出発にしながらも、この事件を「当事者としての問題」と考える視点を持つことでした。人格非難や性格批判として論ずることで、事件の持つ「受難・受苦」として悩む力を失うからです。当事者として考える事で、親と子どもを同等の視野に入れ、それぞれの受難と恢復の過程をどう見ていくかという視点が得られるからです。映画は何よりもこの可能性の一端を記録できたと思うのです。
現実の虐待事件は悲惨であり、時に死に至るわけですから人間不信に陥ります。しかし、この受難を受け止め、恢復していく情熱もまたこの受難の中にこそあるのだという確信を抱いて、子どもたちと親たちに寄り添ってきました。子どもの傍らに存在する大人たちがどのように配置しているかという社会の在り様が子どもたちの力を引き出す要であると思うのです。受難と受苦の中にこそ新しい考え方や哲学が生まれてくるという楽観主義で映画を撮り続けてきました。映画の中で受難の当事者である子どもたちは、自らの力でこのことを示してくれました。だから、少しの希望を語れる映画になりました。
秋から冬にかけ葦原が枯れ、やがて春になりその枯れた根から牙のごとく緑の新芽が出てくる葦牙の生命力があります。子どもたちへの期待を込めて葦牙という数千年の言葉の想像力に託して映画の題名にしました。
枯れて朽ちた葦原(肥料としての社会)の成立こそが子どもたちの力になると思うのです。多くの人たちがこの映画に出会い、子どもたちの生きる姿に共感と共振が湧き上がることを祈っています。映画はそのための応援団となれたら幸いです。

<プロフィール>
1944年、満州生まれ。1967年、中央大学法学部を卒業する。東京大学新聞研究所に三年間所属、日高六郎氏に師事。その後、土本典昭監督の下で助監督として記録映画づくりを学ぶ。主な監督作品に、『人間の街 大阪・被差別部落』(1986年)、『日本鉄道員物語1987』(1987年)、『脱原発元年』(1989年)、『免田栄・獄中の生』(1993年)、『白神の夢 森と海に生きる』(2003年)、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年)などがある。

撮影 一之瀬正史

1945年、山梨県生まれ。1965年、日本大学芸術学部映画学科を中退。その後、各社の劇映画、PR映画、TV-CFなどの撮影助手に従事。主な撮影作品に、『わが街わが青春 石川さゆり水俣熱唱』(1978年)、『人間の街 大阪・被差別部落』(1986年)、『よみがえれカレーズ』(1989年)、『ナージャの村』(1997年)、『アレクセイと泉』(2002年)、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年)、『バオバブの記憶』(2009年)などがある。

編集 村本勝

1958年、静岡県生まれ。國學院大學を中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)へ。『日本鉄道員物語1987』(1987年)で編集者としてデビュー。主な編集作品に、『ベンポスタ子ども共和国』(1990年)、『琵琶法師山鹿良之』(1992年)、『魚からダイオキシン』(1992年)、『蜃気楼劇場』(1993年)、『紅』(1996年)、『Heavenz』(1998年)、『アレクセイと泉』(2002年)、『自転車でいこう』(2003年)、『バオバブの記憶』(2009年)などがある。

録音 若林大介

1978年、東京都生まれ。2001年、日本映画学校録音ゼミ卒業(13期)。その後、録音助手を経て、現在、デジタル化した日本映画学校の録音スタジオの管理、およびデジタル録音の指導を務める。主な録音作品に、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2009年)がある。

助監督・現場録音 佐藤孝

1984年岩手県矢巾町生まれ。日本工学院専門学校音響芸術科卒業後、地元で音楽製作、舞台音響で様々なプロジェクトに参加する。活動していた中で知り合った(有)イメージクラフト杜の風の紹介で今作品の製作スタッフに参加。現在は(有)イメージクラフト杜の風(主にテレビ番組の製作)に勤務。

音楽 森拓治

1944年、東京生まれ。1957年、灰田晴彦(有紀彦)氏にウクレレソロを師事。成城大学文学部・音楽美学科に在学中、芥川也寸志氏にオーケストレーションを学ぶ。大学卒業後、日本映像記録センターに入社し、300作品の音響ディレクターとして活躍。主な作品に、『人間の教育 少年は何を殺したか』(1976年)、『わが街わが青春 石川さゆり水俣熱唱』(1978年)、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年)、『1000年の山古志』(2009年)などがある。

音楽 長谷川光

1960年、大阪生まれ。国際的なギター&バンジョー、フィドル奏者。主な作品として、『THE SOUTHERN TRAIN』(1983年、7曲に参加)、『SHOW BY BANJO』(1992年)、『Gypsy in Texas』(1999年)などの他、映画音楽に『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年)、『1000年の山古志』(2009年)がある。

ナレーター 伊藤惣一

1935年、静岡県生まれ。早稲田大学文学部演劇専修を卒業する。自由舞台を出発点として『ぶどうの会』、『演劇集団・変身』、『劇団三十人会』を経て、1973年にフリーで活動を開始。最近は朗読講師の仕事もしている。ナレーターとしての主な作品に、『不知火海』(1975年)、『ぶんきょうゆかりの文人たち』(1988年)、『白神の夢 森と海に生きる』(2003年)、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年)などがある。

宣材イラスト 林恭三

1939年名古屋生まれ。生まれてすぐ中国に渡る、終戦の翌年5月帰国。名古屋市立工芸高等学校産業美術科卒業。マサヤスタジオ退社後フリーのイラストレーターとして広告・絵本・挿絵などで活躍。1965年、粘土によるクレーイラストレーション制作を始める。以後日本のイラストレーション界に技法の一つとして定着させる。1984年から1987年まで『人形家族』展を全国の百貨店にて開催。資生堂カレンダー制作(1986年)。山下達郎『ポケットミュージック』LPジャケット制作(1986年)。横浜博「東京ガス館」人形プロデューサー(1987年)。林恭三クレーイイラストレーション展(1991年、世田谷美術館)。新宿伊勢丹アートギャラリー「淡き色彩のかほり」展(2004年)ほか展覧会多数開催。その他に、高等学校美術教科書、中学校美術教科書に、1988年より現在も作品掲載中。1962年日宣美奨励賞始め受賞多数。

宣材デザイン 堤岳彦(ebc)

1975年、神奈川県生まれ。2001年、東京藝術大学大学院修了後、仲間とともに共同工房『アトリエ城山』を設立。2003年、クリエイティブチーム『ebc』を設立、代表を務める。主な仕事にNsquareプロデュース公演『風に成り風に在り』舞台美術・宣伝美術(2007年)、サントリー『秋生』パッケージイラスト(2007年、2008年、2009年)、東京大学石井紫郎名誉教授論文集『Beyond Paradoxorogy』装丁(2007年)、『アーティスト集団 C-DEPOTのキセキ』装丁(2008年)、Nsquareプロデュース公演『258』舞台美術・宣伝美術(2008年)などがある。

プロデューサー 小林弘典

1964 年、滋賀県生まれ。1985年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)卒業。在学中は、武重邦夫氏、浦岡敬一氏に師事。1993年、株式会社グッド・ジョブ(ポストプロダクション)を設立し、東京、大阪、神戸に事業所を展開。映画、アニメ、企業CM、大型展示映像など、これまで数多くの作品をサポートしている。

プロデューサー 朱凱莉

1955年、11月中国遼寧省瀋陽市生まれ、1歳の頃上海へ移る。1988年、留学来日。1993年、日本映画学校卒業校長賞受賞「就学生の日記」が脚本家の登竜門「城戸賞」の最終選考に残る。主な作品に小説『彷徨在東京』(1997年)、『チャー二イズドリム』(1998年、「潮賞」の最終選考に残る)などがある

プロデューサー 都鳥拓也・都鳥伸也

1982年、岩手県北上市生まれ。2004年、日本映画学校を卒業。その後、武重邦夫氏が主宰する施設研究科『Takeshigeスーパースタッフ・プログラム』に参加。地域の文化に根ざした映画の発信を目指し、映画の製作・企画・配給について学ぶ。このとき、企画した『いのちの作法』の製作が実現し、2005年8月から2008年1月までの約2年半の時間をかけ完成。全国で自主上映が広がっている。主な作品に、『映画で北上を発信! プロジェクト(北上シロツメクサ物語)』(2007年、協力プロデューサー)、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年、企画・プロデューサー)がある。

『未来殺しから未来づくりへ』 製作総指揮 武重邦夫

映画「葦牙」には未来を照らす不思議な光を感じる。製作者が自分たちの作品を褒めるのは少々気恥ずかしいが、この作品は小池征人監督の最高傑作だと断言できる。
一片の虐待場面も出てこないが、みどり学園で生活を送る子供たちの姿を通して我々の作り上げた社会の実態が克明に見えてくる。虐待を受けた子供たちの前向きに生きようとするの努力と、彼らを支えようと命がけで取り組む藤沢園長と学園スタッフの優しさが観る者の胸に突き刺さってくる。優しさは過酷な闘いでもあるのだ。また、透明度の高い映像も素晴らしい。子供を自然体で撮る事は至難の業で、技術を越えた一之瀬カメラマン人間力を見せ付けられた思いがする。しかし、この作品の本当の凄さは、被虐待児と言われる子供たちが自らの言葉で自分たちを語ることであろう。社会では被虐待児としてひと括りに語られる彼らが、実は一人一人の誇りを持った人間であることを映画「葦牙」は初めて描き出したのである。これは、みどり学園と子供たちの存在が生み出した奇跡である。
思えば、我々は目先の豊かさを求める余り、この60余年、数々の愚かな未来殺しを重ねてきた。その連鎖を断ち切るために、みどり学園と子供たちは日々戦い続けているのだ。
彼らのその勇気こそが、我々の社会の未来づくりを紡ぐものだと私は信じている。

<プロフィール>
1939年、愛知県生まれ。1965年、今村昌平監督に師事し、今村プロダクション結成に参加。1975年、今村監督と共に横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を創立する。現在は映画監督、プロデューサー、日本映画学校相談役・運営委員会議長、シネマネストJAPAN・代表。主な作品に、『復讐するは我にあり』(1979年、プロデューサー補)、『ユリ子からの手紙』(1981年、監督)、『楢山節考』(1983年、助監督)、『民と匠の伝説』(1994年、監督)、『掘るまいか 手堀り中山随道の記録』(2003年、プロデューサー)、『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年、製作総指揮)、『1000年の山古志』(2009年、プロデューサー)などがある。

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