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企画が誕生するまで

映画『だんらん にっぽん』の企画は、2008年7月にプロデューサーの武重邦夫が名古屋市の南医療生協を訪ねたのを契機に始まった。当時、武重は「いのちの作法」の上映促進で全国の福祉施設や生協、医療生協を飛び歩いていた。そうした旅を続けているとき、彼は各地の福祉や医療関係者から「南医療生協」の名が頻繁に出るのに気付いたのだった。大阪の繁華街のミナミ地区に、そんな有名な医療生協が在るのか? 好奇心に駆られた武重は、西宮に住む日本福祉大学の金持(カナジ)伸子名誉教授に仲介の労を依頼した。ところが金持教授によれば、南医療生協は大阪のミナミではなく、名古屋市の南区にある医療生協だという。
「伊勢湾台風の5,000人の犠牲者の大半は南区の住民だったの。その廃墟から生まれ育ってきたのが南医療生協なのね」
教授は親切に教えてくれたが、武重は彼女の話に“未来”や“可能性”の言葉に出てくるのに興味を持った。

武重は名古屋人だ。映画の仕事で東京で生活しているが実家は名古屋にある。この15年、彼は日本の未来や可能性を追い求めて全国で映画を作ってきたが、故郷の名古屋でそうした素材に出会えなかった事を残念に思っていた。「とにかく、名古屋は文化には保守的だからね」名古屋出身の著名なデザイナーが苦笑したように、映画制作はおろか上映だって難しい。だから、彼は無駄足を覚悟に南区の南医療生協を訪ねた。今から2年半前の事である。南医療生協の仲田法子事業部長を尋ねたのだが、事務所が分からず南生協病院に着いた武重は、そこで会員たちのボランテア活動に出会い感動的な体験をする。(参照

仲田法子事業部長から区内に設置された様々な福祉医療施設を案内された武重は、多くの南医療生協の会員たちに会い、彼らの笑顔やモチベーションの高さに驚かされる。
この明るさや行動力は何だろう? 武重は会員たちに映画のスタッフに似た目的や創造性を感じたという。
2009年、武重は200名の理事研修会に参加し、会員と組織部の自由な発言の遣り取り、1,000人会議の積み重ねと意思決定に触れる。こうした全員参加の生活協同組合の形は非効率で会員の責任や労力も必要になり、多くの組織が避けてきた形だった。
それを代行するのが執行部で、執行部は次第に権力構造に移行してゆくのが世の常だった。
しかし、南医療生協は膨大な非効率を受け入れて別な組織構造を模索しているらしい。
これは日本の戦後の効率化社会と反対側に方向を探るものでないかと武重は驚いた。
人間が社会を創るのではなく、政治や社会が人間を創って来たのが戦後の歴史だったのだ。
しかし、常民による社会作りなど可能なのか? これはある意味で既成社会に対するルネッサンスではないのか? 武重は自らが映画作りの指標にしている「Discover true Japan」との共通性を感じ取った。

2010年に入り、武重は南医療生協の幹部たちと会うようになった。特に成瀬専務理事との対話は生活協同組合の本質を検証するもので、南医療生協が従来の地域医療の枠を乗り越え、地域住民との協働の地域づくりを目指している事を知る。もうひとつ、武重が感銘を受けたのが、「みんなちがってみんないい ひとりひとりのいのち輝くまちづくり」という南医療生協のキャッチフレーズだった。この団体では決して6万人の会員をひとつに束ねない。会員ひとりひとりの個性や精神の自由を尊重した姿勢こそ、“未来”や“可能性”を予感させるものであろう。10年3月、武重は「いのちの作法」や「葦牙」を共に製作してきた監督・小池正人に相談して映画制作を決定した。

3月5日の南生協病院のオープンから撮影は始まり、現在、予定日程の半分まで進んでいる。6万人の情熱とアクション、次々と会員により企画される新たなプロジェクト。
小池監督とスタッフは人の海に入りながら、必死に人間の姿にカメラを向けて南医療生協の本質に迫ろうともがいている。年を越してから、『だんらん にっぽん』の撮影は正念場を迎える。

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