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 1937年、日本に保健所が開設されると、公衆衛生を担う専門スタッフとして保健婦が誕生しました。彼女たちは荒廃した敗戦後の地域衛生を守り、また、世界の経済大国になった日本国の繁栄の、その負の部分を支え続けてきた人たちです。
 本作品の主人公の前田黎生(あけみ)さんは、昭和17年に名古屋市の保健婦第1期生になりました。大正7年生まれで95歳を超えた前田さん。足腰は衰えても心は保健婦道一筋…微塵も揺るぎません。
 これは、幸せ薄いひとりの少女が数奇な運命の末に保健婦にたどり着き、時代の矛盾と格闘してきた1世紀に及ぶ物語です。

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◆乱世に生まれ数奇な少女時代を過ごす

 米騒動の夜に生まれ、間もなく親戚に預けられて4年が経ち、ようやく両親と暮らし始めるも、父親が突然の失踪。やがて母親の再婚を機に16歳で名古屋へ家出をし、町医者で奉公をしながら看護婦の資格を取得。しかし看護婦にはならず、陶器工場で女工として働きながら無産者診療所へ通う日々が始まる。

◆無産者診療所と治安維持法による4年の投獄生活

 青春時代を無産者診療所でのボランティア活動に捧げるも、不意に特別高等警察に拘束され、治安維持法により4年間の投獄生活を強いられる。この時の体験が前田黎生に「常に弱い者の側に立つ」信念…彼女の生涯を貫く「自分の位置」を植え付ける事になる。

◆保健婦としての人生の意義と誇り

 戦前の「兵隊作りを目的とした」保健婦の役割。戦後の「国民の幸せのために働く」保健婦の役割。ひとりの保健婦として真逆な二つの時代を生き抜いてきた彼女は日本の近代史の証言者である。また、良き公衆衛生と保健医療を模索し、地域医療の現場と公務員という行政システムの矛盾に苦しむ保健婦の為に、全国の保健婦が悩みを持ち寄り話し合う「自治体保健婦の集い」の立ち上げに尽力した。

◆禁じられた恋と女性権利への闘い

 1981年、彼女は、朝日新聞に実名で自らの恋愛体験を投書し、周囲から非難を浴びる。しかし、それは覚悟の上の確信犯だった。勇気を持って自分を晒す、性を晒す…62歳のカミングアウトだった。男性本位の日本社会で、彼女は保健婦の仕事を通じ女性の社会共同参画を実践し実現してきた。だが彼女は鋼鉄のように硬い運動家ではなく、「愛が自分を生かしてくれた…」と書く、情熱的な女性でもあった。


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