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前田さんの1世紀に及ぶ人生は複雑で矛盾に満ちたものでもある。それは彼女の性格や生い立ちに根差すだけではなく、むしろ、波瀾に満ちた20世紀の日本社会の歴史を反映したもののように思われる。「女性が生きづらい時代」に名古屋に家出してきた16歳の少女が、堕落することもなく生き抜いてきたのには、多くの人々との出会いがあったからであろう。

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生後間もなく三重県の乳母に預けられ黎生さんは4歳で大阪の父母のもとに戻り父親と生活を始めるが、9歳の折りに父親は失踪してしまう。
この父親の失踪は思春期の黎生さんの心の傷となり、彼女は「祝福されない誕生」の苦しみの中で、「自己の存在」を求め続ける人生を送るようになる。
小説家志望で彼女を捨てていった父親を怨みながらも、他方、自分の中に流れる文学の血を自覚し、感性豊かな詩を多く書いている。

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黎生さんが看護学校で知り合ったクセヨシコは魔力を持った謎の人物である。彼女は16歳の家出娘の不幸な境遇を知り、世の中の矛盾や社会主義の理想を説き強く影響を与える。黎生さんは苦労して取得した看護婦の資格を捨て工場労働者になるが、それは彼女にとってイデオロギーとの最初の出会いであった。

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昭和10年、工場労働者になった黎生さんは共産党員・小山修一夫妻の家に下宿し、二人の生活から男女平等とデモクラシーを実感する。小山修一氏は5ヶ国語を話すインテリであり、この出会いを機に黎生さんはイデオロギーや知的な世界への憧れを抱くようになる。
やがて、彼女は金山駅下の「無産者診療所」に通い、貧しい労働者の健康相談に励むようになって行く。

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「無産者診療所」での治療活動は黎生さんの人生に二つの意味をもたらした。医者が治安維持法で拘束されて不在になった診療所は危険極まりない場所である。にも拘らず黎生さんが通い続けたのは、彼女の献身的な治療行為に貧しい人たちが感謝してくれたからだ。彼らの感謝の言葉は、黎生さんを「祝福されない誕生」の強迫観念から救いだした。
「無産者診療所」に関わった黎生さんは治安維持法で拘禁され、18歳から22歳までの貴重な青春を刑務所で過ごすことになる。彼女がこの過酷な状況に耐えられたのも、「必要とされている自分」の意識があったからであろう。

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保護司が名古屋市民病院長の戸谷銀三郎氏だったことは黎生さんの運の強さを示している。戸谷銀三郎氏は自ら彼女の身元保証人となり、看護婦として名古屋市に就職させた。後に名古屋市立大学の初代校長になった銀三郎氏は、黎生さんの保健婦人生の扉を開いてくれた大恩人である。

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前田釟三氏は中川区の農村の次男坊。事務長の前田氏は役目上、黎生さんの刑務歴を知りながらプロポーズし、昭和18年に結婚する。黎生さんが憧れる学歴のあるインテリではないが、心の広い男性であった。結核で夭折するが、黎生さんは老いて初めて彼の心の広さを知ることになる。

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夫を亡くした前田黎生さんは名古屋市の西保健所に再就職するが、翌年、岐阜大学を卒業したばかりの10歳敏下の青年獣医と恋愛関係になる。33歳の前田さんにとって生まれて初めての恋であり、結婚を迫るが…それを機に二人の関係は終焉を迎えます。
この恋愛事件で前田さんは、愛とか情念とか、「人生には理で割り切れないモノがある」ことを学びます。

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名古屋の代表として国立公衆衛生院の研修に上京した黎生さんは、あるべき保健所の姿を模索するサークル「土曜会」に参加し、リーダー的存在の丸山博教授と出会います。丸山教授との出会いが前田さんの視界を広め、やがて、全国規模の「自治体保健師の集い」の設立に結実していきます。
一方、丸山教授や久保全雄教授との交流により、前田さんは次第に現場作業からアカデミズムに傾倒して行きます。

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