「楢山節考」 全製作記録 ① - 今村昌平ワールド

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『楢山節考』辰平役の緒形拳(石黒健二氏撮影)

『楢山節考』 について/今村昌平(監督)

豊かではあるが、生きる意味を失っている現代社会に対し、貧しく飢えているが、生きる意味を持つ社会がかつてはあった。
この村は、士地は狭く、飢えは甚だしく、1人生まれれば1人死ななくてはならない。70歳になる寸前に、老人は捨てられるという形で自らの生命を断つ。
飢えて盗めば殺される。
女の子は1人を残して売られ、次、三男はヤッコつまり農奴として妻をめとることも出来ず、長男の家に一生飼い殺しとなる。苛酷な掟に逆らうものはいない。 可酷さに堪え、逆らわず、厳しい自然に従い、自然と調和を保ちながら、誰もが生を全うしなくてはならない。
猛々しく戦うのではなく、柔らかに、呑気に、やさしく、生きるのである。 そこには、打たれ強いボクサーのような忍耐力と、強靭な心のバネが必要だ。 死の時間が決められている分だけ、村人たちは生について思いを至さないわけにはいかない。おりんはもうすぐ70歳になる。
彼女は、山で自らの生命を断つについて、残された者たちの生を思いやる。 自ら死ぬことが他を生かすことであり、他を生かすための死が、彼女自身の生なのだということを知っている。
死ぬことが、「完全に生きる」ことであり、死を目前にした彼女の生は充実する。 母を背負って山へ棄てに行かなくてはならない長男辰平の感傷や迷いを、だからおりんは心もとなく思い、励ます。
棄老伝説(「楢山節考」)をもとにしたこの物語は、一見残酷である。だが現代を振り返って見る時、管理社会の一片の歯車と化す人間の姿は、残酷でないと言い切れるだろうか。福祉社会の恩恵は、人間を真に幸福にし、生を充実させているのだろうか。
老人ホームのありようは、人生の終幕を飾るのにふさわしいのか。世界的な環境汚染と、人口急増は……1人生まれれば1人死なねばならぬこの村とどう違うのか。 おりんの死と生を追求することによって、私は人生の意味の究極を知りたいと思う。

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今村昌平監督(中央)、栃沢カメラマン(左)、右端筆者

『楢山節考』 の撮影を終えて/栃沢正夫(撮影)

1981年の夏、一昨年のことである。初台にある今村プ口の事務所に呼ばれて行ってみると、監督が、こともなげに「さあ、ロケハンに行こうか」という。私はその数日前、当プロの助監督氏に、『楢山節考』 という作品が、今秋からインしそうだ、ということを聞いて、「それはぜひやってみたいなあー」などといったものの、心底、私にその仕事がくるとは思ってもいなかったので、そういわれた時には私が今度はいる 『楢山節考』のカメラマンに起用されたということなのかな、などと半信半疑で自問自答したものである。かように監督は、やや性急で、恰好をつけない人なのであるが。
まもなく、事が現実になり、長野県北安曇郡小谷村の山間部にあるという廃村に向かうことになる。けもの道のような細い道をものの15分も登り始めただけで、すっかりばててしまい、と同時に、これから始まるこの作品の苛酷な仕事ぶりが予感されて、あらためて覚悟を決めたりしたものである。
撮影現場である部落はすばらしい村である。崖に沿い、周囲は山にかこまれている。耕地も狭いようにみえる。おりん、辰平の住む “根っ子” の家をどこの家に決めようか、あるいはあらためてどこかに造り足さなければいけないのかな、などと調べ回っているうちに、いつの間にかカメラの目でものを見ているのである。12~13戸ある農家は一つ一つがとても大きいのである。中には養蚕をしていた家もいくつかあったとかで、とてつもなく大きいものもある。今の家の3階建の高さに相当する感じである。
ご存じのようにこの作品では、村は、山が迫り、土地は狭くなければいけない。しかし、こう家が大きくては、カメラを向けた時に、家をいれるならば、やや広めのレンズを使うことになる。そうすると、相対的に後方の山は小さく、そして遠ざかることになってしまい、この狭くなければいけない村も、実際よりも広くなってしまいはしないか。
“根っ子” の家も、半分傾きかけたものを忠実に再現したのであるが、この村の中の農家としては小振りなほうであるとはいえ、それでもかなり大きい。囲炉裏のあるところにしても24畳ほどもある。狭く貧しい家でなければならないのに、立派な家に住んでいる感じを与えやしまいか。こういうことは、必要以上に広いレンズを使わないことを注意することでいいものだろうか。昼のシーン、夜のシーンで、バックにうす暗さを与えることである程度は広さの感じを押えることが出来ると考えていいものだろうか。等々、すぐに多くの疑問が湧いてくる。
色彩のほうは、あの時代のあの部落にふさわしい色調があっていいのではないかと考え、デーシーンの外と家の中、ナイトシーンの家の中と3つのブロックに分けて、フラッシング(加色法)のテストをしてみた。やはり色が一様につくのと、タ方の流し込みや朝の感じを、やや殺すことになるのではないか、後で部分的にカラーライティングを考えることになるかもしれない、ということなどから、照明技術の岩木氏と相談し、まずは土俗的な匂いを多少とも出すことが出来るならばと、室内のデーシーンは、ライトにアンバー系のフィルターをし、ナイトシーンは光源が灯芯とか、焚火であるため、やや強く、あるいは赤フィルターを使用ということにした。外のデーシーンはNo.85フィルターを使用して得た色彩が、常識的な色彩の基準になっているならば、それがリアリズムでいく作品にふさわしいのではないかと思ったりした。
カメラはアリBL。フィルムは FKCN。レンズはクック系列を使用した。

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栃沢正夫カメラマン(手前)。金沢裕撮影助手(最後方) 

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イメージフォーラム掲載の制作ノート

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『楢山節考』東映発売ビデオの表紙

※敬称は略させて頂きました。

「楢山節考」 全製作記録 ② へ続く

この制作は、「イメージフォーラム」の1983年6月号に掲載された「楢山節考・制作ノート」の元原稿にタケシゲが若干、撮影のエピソードなどを付記しながら掲載するものである。企画段階から映画の全場面の制作進行状況を記したもので、7回に分割して連載することにした。なお余計なことではあるが、『楢山節考』のDVDなどを再見しながら読んで戴ければ幸いである。
なお、当時の制作記録の作成に当たって、監督、カメラマン、制作主任(ラインプロデューサー) 、美術デザイナー、演出部(監督助手、農耕担当者、動物担当者)などのスタッフ諸氏から寄稿を戴いた。また、本文への記述はないが、カラス飼育班のように本作品のバックヤードを支えたスタッフたちの活躍に関しては、撮影記録の中に備忘録を設けて書き記していきたい。