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高橋繁(岩手県西和賀町・初代町長)

生命を第一に掲げて

人の生命を簡単に奪ってしまう事件が連日報道される中にあって、私は改めて生命の尊さについて真剣に向き合うことの必要性を痛感しています。家庭内の教育力の低下、学校におけるいじめ、大人社会の規範の欠如など社会情勢の変化は急激で、今後ますますこの傾向は加速されることが懸念されます。
このような状況の中で、私は旧沢内村の生命尊重の精神と血のにじむような生命を守る取り組みを忘れることはできません。生命を軽んじる風潮が蔓延する現在の社会とは対象的に、生きたい、助けたいと願っても貧困、多病、豪雪という要因がそれを許さなかった時代に、村を変えようと必死の思いで立ち上がった一人のリーダーと村民の姿はあまりに崇高であり、このことは永久に語り継がなければならないと改めて感ずるしだいです。
記録映画「いのちの作法」(仮称)をプロデュースする北上出身の都鳥兄弟は、偶然にも「村長ありき」という一冊の古本に出会い、自分たちの故郷のすぐ側にこのような取り組みを行なった村があることに驚愕し、映画化を決意したそうです。しかし、彼らは単に当時の沢内村の取り組みを検証するのではなく、その精神や活動が今の時代にどう引き継がれ、投影されているのかを描きたいとも言っておられます。
この映画が描き出す生命尊重の精神が、西和賀町のみならず北上市さらには県内外に発信され、「いのちの作法」が全国の人々に共鳴と共感を呼び起こす作品となることを確信し、記録映画制作にあたっての応援のメッセージといたします。

「記録映画『いのちの作法』制作へのご協力のお願い」より抜粋

生命を第一に掲げて

生命尊重の村づくりに昭和30年代から取り組んできた沢内村は、平成17年、隣町・湯田町と合併し、西和賀町として新たな門出を迎えました。その新生・西和賀町運営の基本方針として、私は、旧沢内村の村是「生命尊重の理念」の継承を第一に掲げました。何故なら、生命を大切にするという取り組みには、目先の利潤や儲け、財政が苦しいということなどを遥かに乗り越える、根源的な力があると思うからです。
又、現在の社会状態を見れば見るほど、生命を尊重するということが大事だと感じるからです。正に「いのちに対する作法」が必要とされているのです。
西和賀町には、生きることの大切さを考え、生命に向き合う人々が沢山います。そんな町を、私は真に誇らしい町だと思っています。記録映画「いのちの作法」を通して、西和賀町の理念が日本の未来を切り拓くことを心から期待しています。

佐藤忠男(映画評論家)

「沢内・いのちの作法」への大きな期待

旧沢内村の生命尊重を理念とする行政のことを知って感動した。これこそ地方発で広く全国に知られるべき精神であり、行動である。映画でなら具体的にそのやりかたと成果を記録して伝えることができる。ぜひやってほしい。都鳥拓也、都鳥伸也兄弟のことは良く知っている。日本映画学校では熱心な学生だった。彼ら自身の郷里のことだから当然かもしれないが、よくこのテーマに着目したと思う。映画は出発点が大事である。このテーマと真剣に取り組めばきっと有意義な作品が出来るだろう。小池征人監督がこの作品を監督して下さるということが大いに嬉しい。小池征人監督は社会問題を扱うドキュメンタリーの分野ではいまの日本で指折りの人である。「免田栄・獄中の生」とか、「白神の夢・森と海に生きる」など、まさに生命尊重の立場で社会と人間をじっくり見つめた感動的な作品を数多く世に出している。作品としてその風格の大きさにはいつも強い感銘を受けている。こんどの作品の監督としてこの人以上の人選は考えられないと言っていいほどだ。さあ、地方から全国へ、大切なメッセージをとどけよう。

及川和男(作家)

伝統の切っ先を!

『村長ありき 沢内村深澤晟雄の生涯』を書いた者として、記録映画「いのちの作法」の制作が成功し、多くの国民に迎えられることを切に願っています。
沢内村の「生命行政」は、絶えざる創意によって困難を乗り越えてきました。この伝統には、それを担った人びと一人一人が伝統の切っ先となって活動したという尊い意味がこもっていると思います。どうかその切っ先を照らし出していただき、西和賀の未来だけではなく、日本の明日につながる力を産み出す映画として、この混濁した世に送り出してほしいと切望します。
私も出来る限りの協力を惜しみません。

太田祖電(沢内映画支援会議・顧問)

記録映画の製作に寄せて

故・深沢晟雄村長以後、沢内村は “生命尊重の行政” を幾多の困難を、乗り越えながら村民と共に継承して参りました。今回の映画はまさにその検証と記録です。
昨年、湯田町との合併という、ひとつの節目を私たち住民は迎えました。そんな中で、この映画づくりを通して沢内村の継承してきた “生命尊重の行政”を見つめ直すことが、新しい地域づくりへと繋がっていくと信じております。
私は、過去を切り捨てるのではなく、過去を明らかにすることによってこそ、前進があるのだと信じるからです。

高橋典成(沢内映画支援会議・代表幹事)

全国の皆さんのご支援を

記録映画「いのちの作法 -沢内『生命行政』を継ぐ者たち-」支援会議が、昨年暮れ、12月21日にスタートしました。沢内村(昨年11月、湯田町と合併し西和賀町となる)は、1960年頃から「病気にならないようにする取り組み」「赤ちゃんや高齢者の医療費無料化の施策」など、生命と暮らしを大切にする行政を続けてきました。それを進めてきたことを検証し、更にその理念を継承している「むらびと」たちの思いを記録しようとするのが今回の映画づくりです。このことを通しながら、新自治体での地域づくりも考られれば幸いと考えています。
地元は勿論、全国の皆さんのご支援をよろしくお願いします。

伊藤彬(岩手県北上市長)

記録映画「いのちの作法」に寄せるメッセージ

平成17年11月1日 湯田町と沢内村が合併し、西和賀町としての新たな門出から1年を経過しようとしておりますが、この時期に旧沢内村の「生命行政」を受け継ぎ、新たな時代に対応した生命尊重に取り組む西和賀町をテーマとした記録映画「いのちの作法」が制作されることは、誠に意義深いものがあります。
いのちを守り、育もうと積み重ねてこられた取り組みは、豪雪等の様々な困難を乗り越えてきた道のりで、まさに全国に誇るべきものであります。合併後も「生命尊重の理念」を西和賀町の基本方針としてまちづくりに邁進する姿を、記録映画という媒体を通じて光を当て、地方の自治体の「生き様」として広く全国に発信するものになることを期待しています。
北上市と西和賀町は、古くは鉱山等の産業を通じた交流をはじめ、温泉や豊かな自然を求めての交流、学校や仕事などの日常生活における様々な分野で交流が盛んに行なわれており、また、和賀川という自然の恵みを通じて文化的・風土的な一体感が形成されています。
また、この度の映画制作にあたっては、北上出身の都鳥さん兄弟が西和賀町を映画にする企画を提案し、プロデューサーとして制作に携わっており、北上市としても記録映画「いのちの作法」に対する応援をしてまいりたいと考えております。
つきましては、記録映画「いのちの作法」制作に対し、多くの北上市民、企業等の皆様からもご賛同とご協力をお寄せいただきますようお願い申し上げます。

「記録映画『いのちの作法』制作へのご協力のお願い」より抜粋

熊田淳(前・岩手県県南広域振興局北上支局長)

激励のメッセージ(2006年11月24日付)

「いのちの作法」は、北上出身で双子の青年、都鳥兄弟により企画された西和賀町をフィールドとする記録映画です。
彼らは、ふとしたきっかけから一冊の古本「村長ありき 沢内村深沢晟雄の生涯」に出会い、昭和30年代に、“豪雪・貧困・多病多死”という悪循環の中で「すこやかに生まれ、すこやかに育ち、すこやかに老いる」という人間としての根幹のテーマを達成するために、地域住民が一丸となって立ち向かっていく姿に感動を覚え、映画化を決意したと聞いております。
この映画は、西和賀町の過去の歴史のみならず、「いま」にスポットを当て、そこに生きる住民や地域に生命尊重の精神がどう受け継がれているかを映し出すとともに、昨今、ともすれば軽視されがちな「いのちの大切さ」を訴えることをコンセプトとしており、単に西和賀町にとどまらず、広く県内各地、さらには全国に発信されるべきものと考えております。
近年、地方の文化が見直され、脚光を浴びる時代にあって、全国各地においては、地域固有の文化・歴史・風土に根ざした多種多彩な活動が展開されておりますが、都鳥兄弟は、この映画制作を第一段として、その後も、県内各地を訪問し、それぞれの地域に根ざした記録映画を撮り続けたいとの熱い思いを有しており、今後、この岩手の地に根を張りながら大きくはばたいていくことを願っております。
終わりに、この記録映画が地域住民の協力のもと、人々の琴線に触れる素晴らしい作品に仕上がるとともに、「人間の尊厳」を再確認するきっかけとなることを心より期待しています。

「記録映画『いのちの作法』制作へのご協力のお願い」より抜粋

舘川毅(北上『記録映画いのちの作法』制作後援会・会長)

記録映画『いのちの作法』に寄せて

旧・沢内村の「生命尊重の行政」は、同じ和賀川の流域に暮らす、私たち北上市民にとって、大きな驚きであり、誇りであった。
あれから40年以上の歳月が流れた。豪雪や貧困といった生命の危機は過去の物となった。しかし、親殺しや子殺しと言った事件は多発し、児童虐待や老人介護等の様々な社会問題が、現在、私たちの目の前に広がっている。
そういった時代に、再び「生命尊重の行政」に目が向けられ、記録映画として全国に伝えられるという。
私はそのことに多いな喜びを感じた。しかも、映画づくりは同郷の北上市鬼柳町出身の若者である、都鳥拓也・伸也兄弟の発案によるものだという。私にとっては二重の喜びである。私は映画の成功のために、北上『記録映画いのちの作法』制作後援会の会長として、力を尽くして行きたいと思う。

久保孝喜(岩手県議会議員)

記録映画『いのちの作法』に寄せて

NHKの番組「その時歴史が動いた」が放送されて以来、いったい何人に声をかけられただろう。誰もが感動を口にし、みんなが「すごい人だね」と感嘆し褒めちぎる。改めてメディアの持つ力を感じさせられた。
昭和28年生まれの私にとっても、深沢村長は「伝説」でしかない。リアルタイムの接点があるとすれば、冬の夜に葬列を迎えに出た、という記憶だけである。小学校の5年生位だったろうか。祖母が誰よりも悲しんでいた、という印象だけが残っている。
ともあれ、深沢村長が掲げた「生命尊重行政」なるものが、少年から青年へと成長する時期に体内に刷り込まれた、唯一の政治的DNAとなった。学校や地域で語られる「偉大さ」や「先進性」は、この地で生まれ育った、意味もないコンプレックスを乗り越えるに十分な力となった。
やがて、様々な出版物やTV番組やなにかが次々と世に出始めると、社会人の私にとっては、自らの出自を語るのに格好のネタとなり、自己紹介アイテムにすらなっていった。あげくに、20代で政治活動に首をつっこんでからは、「自らの政治的原点としての沢内」を語り出すはめとなった。いささかの調子良さも手伝い、以来30数年経た今もなお、その出自が政治生活のバックボーンとなっていることは、ありがたい事である。
しかし、はたして沢内のこの歴史は、・・・・沢内だからこそ、の歴史だったのだろうか。本当に「村長ありき」の歴史だったのだろうか。
深沢村長の指導力や発想、類い希なリーダーシップは疑いのない事実であり、当時の行政を動かした最大の要素ではあるだろう。
傑出した指導者。しかし、沢内を語るのにそれだけでいいのだろうか・・・と思っていた。実は、「いのちの作法」というタイトルを眼にした時、その「作法」という言葉にいたく感心した。そうだ、作法なんだとそれまでのモヤモヤが晴れた気がした。
有史以来の沢内の風土が、誰のものでもない歴史が、幾多の先人の知恵の集積が、沢内には確かにあり、深沢村長の存在がそれを引き出し、輝かせ、新たな歴史を作り出したのだと。「いのち」にまつわる数多くの歴史、家族や部落、村々に伝わる「いのち」との長い長い向き合いの日々。たとえば「草木供養碑」であり、たとえば「およねの人身御供伝説」であり、そして数限りない飢饉の壮絶苛烈な「いのち」との向き合い。
だから、「作法」なんだと。沢内に暮らす人々、そこに連なる無数のいのちと向き合ってきた「作法」を、私たちは思い起こさなくてはならない、と思う。
照葉樹林文化帯の北の外れで、稲作文化をもっとも遅くに手にした我らが祖先。いにしえの反権力に身を焦がした先人の悲憤と、苛烈きわまる自然の猛威と優しさとに息づいた我らが祖先。その先に、その先の歴史に生まれた、深沢晟雄なる男、巡り会った私たち。
そのすべてが、それらの連なりが「沢内」なのだと得心するとき、私たちは「作法」の意味に気づき、「いのちの作法」が私たちに伝える何か、生み出してくれる何か、にまたもや感動するに違いない。
今はただ、映画の完成に向けて、自分に出来る事をやり遂げたいと思う。必ずやTV番組では伝えられなかったものに出会える事を信じて。