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美術界に巣食う古い権威や権力に反逆の狼煙をあげ、新しき真の創造を掲げて疾風のように時代を駆け抜けた一人の天才画家がいました。時は60–70年代、既成の文化や体制を破壊し、新しい価値観を打ちたてようとしたカウンターカルチャー沸騰の時代、日本画の天才と将来を嘱望されながらも、その古い伝統の呪縛を解き放ち、時にはポップアートをも髣髴とさせる斬新な技法で美術界に衝撃を与えた作家、中村正義、その人です。

中村正義は23才で日展に初入選するや、数々の作品で入選、受賞を果たして瞬く間に日展の中心作家となりました。36歳の時には最年少で日展の審査員に選ばれるという栄光に浴しました。早世の天才日本画家・速水御舟の再来とまで言われ、日展での地位を揺るぎないものとしてゆく正義の活躍は誰の目にも前途洋々と映ったことでしょう。しかし、こともあろうか正義はその地位をあっさりと捨て去ってしまいます。古き価値観に連綿としがみついている日展の体質に我慢ならなかったのです。

日展を飛び出した正義は孤高の道を歩むことになります。中でも原色の赤を大胆に塗り重ねた作品群は衝撃的でした。技法も留まる事をよしとしません。岩絵の具に膠の代わりにボンドを混ぜ合わせたり、蛍光塗料を用いたりと、日本画には収まらない自由で革新的な問題作を次々に世に送り出しました。また、映画とのかかわりも深く、小林正樹監督の「怪談」では平家物語の壇ノ浦合戦を描いた500号以上の大作群<源平海戦図絵巻>制作、その壮大な描写力は今も見る者を圧倒します。また、この頃には謎の浮世絵師・写楽の実像を画家の立場から探求するという仕事にも取り組みました。既成の枠を飛び越えた意欲的な活動は正にこの時代の欲求でした。

しかし、これらの仕事の全てが好意を持って迎えられたわけではありません。古い体質の画壇・その権威主義的体質と徹底的に闘う姿勢を崩さない正義は異端の作家と呼ばれるようになりました。己の考えを偽ることなく舌鋒鋭く体制に向ける、その容赦なき批判精神は多くの敵も作りました。実際、日本画壇の旧勢力からは数々の圧力や妨害を受けることも度々だったといいます。

美術界に居座る権力・権威との闘い、そして、それらを拒絶する偽りなき自分自身との闘いの日々。安寧におもねることなく熾烈に我が身を燃やす、そんな正義の姿はどこか生き急いでいるようにも見えました。事実、正義の生涯は病との闘いの歴史でもありました。二十代で結核を患い療養生活を余儀なくされた正義はその傷もいえぬまま、後年癌を発症します。晩年、何度も何度も手を入れては描き続けた何百枚にも及ぶ自画像は、死とも向き合わざるを得なかった正義の孤独な闘いを伝えています。

三島由紀夫を描いた肖像画があります。ポップアートかと見紛うその作品は日本画の作風を超越して見事に時代を呼吸しています。体制的な画壇に強烈なアンチテーゼを突きつけた作家は、一方で日本人の底流にあるものにも批判の矛先を向けました。時は高度成長期、清貧の芸術家像などというものは権力側が作りだした、まやかしに過ぎないと喝破した正義は「真の創造と経済」という難題にも真っ直ぐに向き合った一人です。

志半ば52歳でこの世を去った中村正義。この映画は彼の芸術作品を考察・解釈するものではありません。苛烈に生きた画家が何を求め、何を恐れ、何を愛したのか、人間・中村正義、その生きた時代を描くものです。

神奈川県川崎市に自宅のアトリエを改造した「中村正義の美術館」があります。
父を敬愛し、美術館を守り続けてきた娘・のり子は昨年亡き父の歳を超えました。
彼女は未だ触れることのできない本当の父親を探しての旅を始めました。
映画はこの旅を中心に「人間・中村正義」に迫ろうとするものです。
楽に安住せず苦を選び、美におもねることなく醜をもってよしとする中村正義の生きた時代のエネルギーが、出来合いレースの蔓延する今の日本に何を問いかけるのでしょうか。

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