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「物置のピアノ」は温い心のこもった良いシナリオです。福島の人々によせる多くの人々の思いを結集したいい映画になると思います。こまかいところまで細心の注意をこめて作って下さい。期待しております。

新潟県新潟市出身。演劇、芸能、教育の分野でも評論活動を行っている映画評論家。1996年、芸術選奨。2010年、国際交流基金賞(文化芸術交流部門)。日本映画学校校長をつとめ、現在は日本映画大学学長。主な著書に「現代日本映画」、「長谷川伸論」、「日本映画史」など。

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福島から生まれた映画にはヒット作が多いぞ。かつて森繁さんが演じた「警察日記」は、名子役二木てるみと共に大ヒットとなった。次いで、全国的に有名になったのが、本宮方式映画教室=その町ぐるみ映画制作運動が製作した「こころの山脈」(1965年)=それに影響をうけたもとみや青年会議所が「秋桜」(1997年)をつくった。そして今回「物置のピアノ」である。これもヒット間違いない。なぜなら、我が愛する日本映画学校卒業の若手メンバーが情熱を傾けているからだ。これを契機にして、福島桑折町から東北全体、日本全国を元気づけて行こう。

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「物置のピアノ」なんたってタイトルの響きがいい。
福島の藁ぶき小屋の物置にしまってあるピアノなのか、そこからどんなドラマを、産み落とすのだ、綺麗な旋律のピアノソナタか?
其れとも、不調律な我楽多ピアノの雑音か?!
何でもいい!精一杯突っ走れ!
今や世界の福島であり、フクシマそのものがドラマであり、映画以上なのだ。
そのフクシマを余すところなく、拾い出せ、そうすれば傑作が生まれる事必定である、僕のフクシマでもあるから。

福島市太田町出身。双葉高校OB。日本大学文理学部哲学科卒業後、主に今村昌平、恩地日出夫に師事し、今村プロ、松竹、東宝、東映、などで助監督を務める。今村昌平監督作品「女衒」ではチーフ助監督を務める、その後、松竹プロデューサー升本喜年氏に師事。28歳時、「大空港」にて監督デビューを果たす。他に、シネマリテラシーの推奨者であり、自ら東京、岩手、福島などで映画ワークショップを開催している。現在は母校、双葉高校でシネマリテラシーを教えている。最近作の「立ち入り禁止区域双葉ーされど我が故郷」は、いち早く現地を取材し、2012年3月11日にドキュメント映画として発表した。

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福島出身の後輩達よ!
ご承知の通り、映画には途方もない力があるんだ!
人々のこころに感動と感激を与え、こころ奮わせる!
さあ、後輩達よ!
周到な準備と、熱い祈りを込めて、映画の力を信じようじゃないか!

北海道紋別市出身。1975年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。同校演劇科在籍時の77年、今村昌平制作の舞台「ええじゃないか」で初舞台を踏む。「飢餓海峡」(78年、フジテレビ)でドラマ初出演を果たし、91年には大ヒットドラマ「101回目のプロポーズ」(フジテレビ)で主人公の恋敵役を演じ一躍脚光を浴びる。他にも「純情きらり」(06年、NHK)といったドラマや、舞台「双頭の鷲」(07、08年、美輪明宏主演・演出)など活躍を続けている。

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映画「物置のピアノ」が2013年に完成する。私は3つの視点で、この映画へのワクワク感を持っている。一つは原作も、脚本も20代の若者が書いたこと。二つ目は、二人とも福島県出身者で、監督もスタッフも若者が中心になっていて、映画の舞台となる福島をどのように描いていくのだろうかと、興味津々だ。三つ目は、私がシナリオを読んでの感想だが、明治以降、特に戦後から、便利さや効率性や競争がやたら叫ばれるようになり、最近では人間の存在や行動さえも、お金ではかられるようになったかのような印象さえ受ける。しかし、シナリオはお金で買えないひとのつながりの豊かさを、なにげない日常の風景から展開している。世の中はまだまだ捨てたもんじゃないぞ、と、私は考えさせられた。

1952年愛知県生まれ。関西の商社を経て、1978年南医療生協の職員になる。2000年から南医療生協専務理事就任。「みんなちがって、みんないい。「ひとりひとりの、いのちかがやくまちづくり」を合言葉に、協同組合における個人の自由と創造的地域づくりを推進してきた。現在、6万人超の会員を有する南医療生協のリーダとして活躍中。映画鑑賞と旅行を愛する歴史研究家でもある。

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桑折町は以前に何度か訪ねた事があります。仙台伊達氏発祥の地としての歴史もさることながら、見た目も味も最高の桃、夏の蛍、秋の黄金色の稲穂、同じ県でもいわき市とはまた趣きの違う桑折町の風情に、しみじみ福島は広いな~と感動した事を思い出します。「物置のピアノ」が震災後、ご苦労の連続の福島の皆さんの心に暖か~い音色を響かせてくれる事と期待しています。

福島県いわき市出身。ジャズ講談や一人芝居の要素を取り入れた独自の講談を次々発表し、講談の新境地を切り開く。反戦反核を訴えた『講談はだしのゲン』で日本雑学大賞受賞。
2002年、講談『チェルノブイリの祈り』を発表。平和・人権、女性の生き方をテーマとした講演(講談付き)も精力的に行なう。

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カーネギホールのステージを飾るグランドピアノよりも、東北の民家の物置にひっそり佇む古いピアノが輝いて見えるのは、何故でしょうか・・・
風評被害で苦しむ桑折町の人々を元気にしたい・・と立ち上がった映画人の若い力!
ダイヤモンドの原石のような、日本映画学校のOBのスタッフに心からのエールを贈ります。

スクリプター、脚本家。日活全盛時代にスクリプターとして活躍。後に脚本家として「折り梅」などを執筆する。現在、KAWASAKIアーツ専務理事、「KAWASAKIしんゆり映画祭」委員長。

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福島県桑折町を舞台にした映画「物置のピアノ」が制作されます。東日本大震災からまだ2年余りですが、この映画が震災、原発事故からの復興に必ずや力になるものと信じております。そして、この映画制作には、日本映画学校卒業の多くの若いスタッフと地元桑折町の人たちが携わっております。映画を通して元気と感動が伝わることを大いに期待し、応援しています。

首都圏有数のアートシテイ・新百合ヶ丘の中核施設である川崎アートセンターの館長。一年を通じて、市民に優れた映画と演劇を提供する二つの劇場の運営責任者。2011年6月から館長を務め、地域を東奔西走している。
また、新百合ヶ丘を中心に開催されている「川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)」実行委員会事務局長も務めている。

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福島は「父をめぐる旅」の撮影中に亡くなった愛犬ドンの故郷です。ドンが元気だった頃、毎年福島に里帰りしていました。ドンが母犬のソバと緑深い山を駆けまわっていた姿が思い出されます。橘内君と初めて話した時おばあさんが、そのドンの生まれた小さな町にお住まいだと知り、ほんとうにびっくりしました。原さんも福島のご出身と聞いています。私は勝手に、ずっと福島を故郷と思ってきました。ですから「物置のピアノ」が、どんな映画に仕上がるのか、今からものすごく期待して、楽しみでワクワクして待っています。二宮君そして映画のスタッフのみなさん頑張ってください。

1960年代、日展に反逆し52歳で夭折した天才画家・中村正義の長女。自宅を美術館に改造し、封印された正義の作品を今日まで守り続けた。
2011年より2年間、自ら父正義の足跡を追い求めて記録映画「父をめぐる旅」を製作。現在、全国各地で公開中。

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「物置きのピアノ」の原作は、福島出身の若い子が、東日本大震災以前に書いたものだという。僕の生まれた九州の小さな島の20キロ先にも玄海原発が白く光っている。震災、原発事故以降、物置に置いてあるピアノは、変わったのか、それとも、変わらないのか。
覚悟して住んでいる人、離れる人、逃げ出したい人、そのいろんな思いを拾い、すくい、映画に定着させてほしい。僕たちに届く言葉で・・・
日本映画学校OBとして応援、期待しています。

長崎県壱岐出身、1981年横浜映画放送専門学院卒業後映像製作会社キャバレット設立。現在は主にテレビ編集を業務として日本映画学校の卒業生を受け入れている。
主な編集作品、唐招提寺平成の大改修【平成21年度(第64回)文化庁芸術祭賞優秀賞受賞作品】など。

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「映画で福島を元気にしよう」いいですね。山古志でも「掘るまいか」「1000年の山古志」2本を武重さん、橋本監督に製作していただきました。映画は力になります、多くの人の出会いがあります。私も3年2ヶ月仮設暮らし、多くの人の支えで耐えることができました。忘れられるのが一番つらい「東北、福島を忘れないで」山古志の恩返しと思い言い続けます。「物置のピアノ」楽しみにしています。動くところには何かが起こります。ふるさとはいいものです、ふるさとを愛しましょう。

昭和47年、肉牛2頭飼育。昭和49年に規模拡大(肉牛20頭)。平成16年10月、中越地震で肉牛30頭、闘牛3頭が圧死。肉牛42頭をヘリで救出する。
平成19年4月、長岡市議会議員(仮設より立候補当選)。同年12月、牛と共に山古志に帰る。牛舎を再建(現在80頭)して息子夫婦で経営。