7月2日、本作の企画・製作である武重邦夫が他界しました。

 映画「物置のピアノ」は、日本映画学校の生徒を集め、企画・製作の武重邦夫を中心に「みんなで映画を作ろうじゃないか!」と、2010年から企画がスタートしました。
 しかし、2011年3月11日、東日本大震災が起こり、福島県出身者である原作者の原みさほとプロデューサーである私は里帰りをし、荒れ果てた地元の姿、そして、家族や友人たちの元気のない姿を目の当たりにしました。
 その後、帰京した私たちは「何か自分たちにできることはないだろうか」と考え、ストップしていた本作の企画を思い出し、この作品を作ることによって、故郷の人々に元気になってほしい、そう考えるようになりました。

 そんな若者たちの途方もない訴えを、武重は優しく微笑みながら「いいじゃないか、やろう!」と、快く受け入れてくれました。その後、武重と共に映画の舞台となる桑折町を訪れ、町の皆さまと一緒に映画製作へと向けて、本格的に撮影の準備が始まりました。
 若者たちが中心となって活動を行っていく中、自分たちではどうしようもない大きな壁にぶち当たった時「なんだ、そんな事で悩んでるのか。大丈夫だよ」と、私たちを支え、落ち込んだ時は「少し引いて自分を見てみると意外と滑稽なものだよ。楽しみながらやろうじゃないか」と、励ましてくれました。武重の言葉は、心を落ち着かせ、居場所はここだよ、と安心させてくれる不思議な力がありました。だからこそ、私たちも作品の完成までしがみついていられたのだと、今ではそう感じます。

 本作を桑折町の町民の方々にご覧頂いた時、福島にて劇場公開が封切となった時、日本を飛び出して海外での上映が行われた時、いつも「そうか! それは良かった! 本当にうれしいねぇ」と、子供のように目を輝かせながら喜んでいました。
 本作は、本当に小さな作品で、撮影から公開まで一筋縄ではいかない、とても困難な道のりを小さな足で一歩ずつ、たくさんの人々に支えられながら歩んできました。その原動力の中の一つには、若者メンバーの恩師である武重に喜んでもらいたい、自分たちを信じて先陣を切ってくれた思いに報いたい、との思いもありました。

 武重は生前「生きている人、皆がそれぞれの人生の主人公なんだよ」と言っていました。本作の主人公は、引っ込み思案で臆病者。物置でピアノをひっそりと弾くことしかできない内気な少女です。しかし、そんな少女が物語の中で少しずつ変わり始め、自分の人生の主人公となるべく、小さな希望へと向けて勇気を振り絞って殻を破り、一歩踏み出していきます。武重は、希望を失い今を朦朧と生きている若い世代の人々に、この少女のように力強く生きてほしいと、願っていたのかもしれません。

 日頃より、映画「物置のピアノ」の活動に対し、ご協力頂いている皆さまに、改めて御礼申し上げます。
 これからも日本全国・世界各国へと向け、武重の遺志を引き継ぎ、活動を行っていきますので、今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

映画「物置のピアノ」プロデューサー
橘内裕人

Discover True Japan 宣言

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かつて、私たち日本人は二十一世紀にバラ色の夢を描いていました。経済繁栄の先には、豊かな社会や幸せな人生や希望の未来があるはずでした。しかし、二十一世紀の今、日本人の誰もがそんな夢を抱かなくなっています。

世界一安全だった社会には凶悪犯罪が蔓延し、家族の絆は失せ、親殺し子殺しは日常茶飯事。若者の一部は無気力なニートと化し、世界に例を見ない引きこもりが数十万人も存在する無残な有り様です。

いったい、私たちは、この国は、どこでどう道を誤ってしまったのか?
「本当の日本」 や「本当の日本人」はどこへ消えてしまったのでしょうか?

今、私たちは 「Discover True Japan」 を合言葉に映画の制作を続けています。戦後六十年のすさまじい経済成長のなかで我々が捨て去ったもの、失ったものに光をあてて、 「本当の日本」 や「本当の日本人」を掘り起こす作業。私たちが「本当の日本」と実感できる、叡智と文化の探索の作業です。

困難ではありますが挑戦に値する仕事です。戦時中も高度経済成長期もバブル期にも、決して自分たちを見失わなかった地域社会や日本人はまだまだ存在するはずです。私たちは日本中に足をのばし、そうした地域や人間を探し求めます。

新潟県の山古志村からはじまった日本再発見の果てなき旅路……。これは「日本のふるさと」が持つ文化の根源力を発見する旅であり、目先の現象ばかりを追い求め方位を失った我々の、誇りと自信を取り戻す旅でもあります。

二〇○四年宣言 武重邦夫